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滝山城趾 Part2

 金毘羅社の裏に細い道がある事が判り覗いてみると
獣道の様な物を発見。
あとあとその道を歩く事にするのだけどね。

 金毘羅社の境内を見回すと
もう一つ他の社の裏側を見つけました。
表に回って見る事に。
滝山2 (1)
こちらは『 霞神社 』となっていました。
霞は加住地区の地名が由来らしく、
日露戦争の時にこの地区の出身者の慰霊を祀る事が由来の様ですね。
その後の戦争の関連もありでしたが
何れも滝山城の築城と関係が薄いようです。

 滝山城の築城は西暦1521年だそうで、
武蔵守護代の大石定重が行った様です。
武田信玄等がこの城と関係があるようで、
信玄が上野(こうずけ)から武蔵に進軍した時に戦場となったようです。
詳しい状況は二の丸まで責められたとか三の丸までだったとか諸説色々。
ただ、結果としてこの城の欠点が判り他へ城を新たにって事らしく、
八王子城の築城へ至ったって話もあるようです。
滝山2 (5)滝山2 (2)
この広場が本丸の様で、古井戸が柵で囲まれておりました。
本丸から出るのに虎口があり、
本丸から見ても逆から見ても見通せない構図になっています。
その上土塁があるものだから、
攻め込まれてもその上から攻撃できるって寸法。
凄いですね!
ただ、今考えるのはお城が作られた当時の樹の育成状況。
今は鬱蒼としてる木々ですが、
当時からこれ程鬱蒼していたのかはね疑問だよね。
逆もありで、
現在見て取れる堀等も今では埋め立てられているって話で、
高低差がそこまで見受けられない所が多くってね。
滝山2 (3)滝山2 (4)
っと、これがあちこちにみられる通路。
獣道にも見えますけど、
踏みしめられている事で道だとよくわかります。

 滝山城のメイン通りと言うか、
散策路としてきちんと整備されている通りはコンクリで張られていたり、
石が敷き詰められていたりしていますが、
所々に案内板があり、
標識の先には行き止まりでも見どころが在る造りになっています。
ただし、標識の無い所でもこのような通路が見受けられ、
そこを行ってしまうと方向感覚も無くなり迷い捲る……
所謂『 キツネにつままれる 』って感覚になりますよ、
たぶんそういう事だと思われます、自分体験済み?

 滝山2 (6)滝山2 (7)
 そして滝山城の石碑と南虎口の説明板。
先ほどまで動画サイトで滝山城の映像を見ていました。
っと言うのも、結構な人が訪れて
滝山城を解説しているのですよね。
自分は知識が無いからそういう所から改めて調べてみた次第。
何が正しくて間違っているかは判らないですけどね。

 この本丸から周りを見回しても外の様子は良く判らず、
虎口のある場所も今一つパッとしなくて
ここに至るまでに見かけた木の橋が何処から通じているのかもわかり辛かったです。
小さいエリアなのでぐるっと回れば簡単に見つけられるのですがね。

滝山2 (8)滝山2 (9)
そしてこれがその木橋へ通じる虎口。
元々はもっと掘り下げられた場所に通路があったようですが、
今はこの辺りも埋め立てられている様です。

 写真自体そんなに撮らずに見どころが少ない様に思ったのですが
なんだかんだでまた明日に続きます。
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